ソルベンシーマージンの真実

こんな会社にいてはいけない!

今回は少々趣向を変えて、昔話を。

私が生命保険セールスの世界に入ったのが、1995年の8/1。
今、私の手元に、1995年8/5発売のダイヤモンド誌「生命保険特集号」の、ある1ページのコピーがあります。

「特集:保険、危機の真相」というタイトルで、当時あった全25社のソルベンシーマージン比率が記載されているページです。


10時間セミナーに来て下さる方のほとんどは、その頃のことは全然知りませんから、この話をすると、皆さん、一様に驚くんですよ。
だから今日は、そんな昔話をします。
ただし、記憶もあやふやになっているから、ネットで色々と調べて、確認した上で書きますね。

上記の記事が出た翌年の86年に、56年ぶりに保険業法が改正されたようです。
でも、当時は既にこの世界に身を置いていた私にも、何が変わったのかはよくわからなかったし、会社でもほとんど話題にはなりませんでした。
ただ、300条が、それまで4項目ぐらいしかなかったのが、急に増えたことは覚えています。当時は「ふ~ん」ぐらいで、私や私の所属する会社には、ほとんど何の影響もなかったですが、後になってその意図と理由を聞いて、そのダーティさに、「ああ、そういう業界なのね」と思ったものでした。


で、ここからが本題。
この話は、何度もしたので、しっかり覚えています。

1997~98年というのは、生保業界にとって激動の年だったんですよ。
3つの大きな出来事があった。

1つは生損保相乗り。
1995年の時点では25社だった生命保険会社が、損保の参入で一気に増えた。
44社ぐらいになったと記憶しています。
ただね、損保が参入したということは、全国に千とか万とかの単位で存在する代理店が参入したということであり、生命保険を売っている人と場所も、一気に何倍にも増えたということになります。銀行の窓販はもっと後のこと。
・・・今気付いたけど、これが56年ぶりの業法改正の目玉なんですよね。

2つ目は、売り上げ順位の激変。
97年は1位だった日本生命が、98年には下から2番目(最下位は住友)に。
99年以降は、ずっと最下位で、下から、日本、第一、住友・・・と、規模が大きい順に並んで、この順位は今までず~っと変わってません。

これも、知らない人が多いので書いておきますが、保険会社の売上成績というのは「純増加保険料」という数字で表します。
去年、第一がニッセイを抜いたとか何とか言ってたけど、生命保険会社の売上ってのは「どれだけ契約が増えたか」で順位が決まります。
当然でしょ?
銀行預金が、預け入れもあれば、引き出しもあるのと一緒。
預入金額だけを足し算して、多いとか少ないとか言うようなことはしませんよ。

生命保険会社の場合も、新契約もあれば解約もある。
97~98年頃から、古くからある漢字生保会社は、新契約よりも解約の方が多くなっちゃって、だから、保有契約件数が多い順に、売り上げ順位が下から並んじゃうのは、仕方のないことなのです。


そして3つ目が、今日の本題。
97年に初の破綻会社が出ました。
日産生命が破綻した年なのです。

当然、ニュースでもたくさん流れましたよ。
で、ニュースを見てたら、時の大蔵大臣が登場して、こう言ったのです。

「これは極めて特殊なケースであり、同様のことは、今後起こり得ない」

このコメントを聞いた業界関係者は、誰もが「え~~~っ! イイ加減なこと言うな~! 無責任にも程があるぞ!」って思ったはずです。

なぜなら、当時、業界内では「渋谷4社(東邦、千代田、日本団体、日産)がいよいよヤバい」という噂・・・と言うか、誰もが事実としてそう思っていて、しかも、「最初に逝っちゃうのは東邦」と言われていたんですよ。

ところが先に日産が逝っちゃった。
その頃、もちろん業界内では、近い内に破綻会社が出ることは予測できていたから、既に破綻保護基金みたいなものが積み立てられていた。
それを日産が使っちゃうワケだから、関係者は「東邦の分がなくなっちゃうじゃん・・・」とも思ったワケです。

で、この時、この無責任な大蔵大臣は、こうも言ったんですよ。
「保険会社の安全性に関する数字を、早急に発表させる」って。

この発言に対しても、誰もが思ったはずなんですよ。
「発表させる・・って、毎年、出てるじゃん?」って。
その雑誌のコピーが、今でも私の手元に残っているワケです。

だから、誰もが当然、その数値がすぐに出るんだろうな・・・と思ってたら、・・・いつまで経っても出ない。
ダイヤモンドや東洋経済にも出ない(後になれば、圧力が掛かって止められたことは明らか)し、日経にも出ないし、ニュースでもやらない。

そして、忘れた頃・・・半年ほど後になって、ソルベンシーマージンの一覧表が出て来たのです。
それを見て・・・驚きました!

「何だ? この数字は?・・・」

ニッセイ、第一、住友・・・といった大手の数字が、それ以前に毎年経済誌で公表されていた数字の10倍ぐらいになってる!
いきなり10倍ですよ。

しかも、200%を切っている会社が1つもない!
私の手元にある、1995年のダイヤモンド誌の記事のコピーだと、200%を超えている漢字生保は1社しかないんですよ(太陽生命)。
それが、全社200%を超えてる。
さらに、漢字生保でソルベンシーマージンにおいては常に不動の1位だった太陽生命よりも、なぜか日本生命の方が上になってる。

ちなみに、太陽生命が1位なのもごく自然なことで、この会社は、今ではどうだか知らないけど、当時は15年養老に細かい特約を付けた商品ばかりを売っていました。15年養老だから、長期の死亡保障を売っている会社よりも支払頻度が圧倒的に高いので、必然的に現金をたくさん貯めておかなければならない。
だから、ソルベンシーマージンは高いのです。

でね、話を戻して、その大蔵大臣が言ったんですよ。
「200%を切っている会社はないので、大丈夫です」って。
ここでも関係者は「ヒョエ~~~ッ!」ってなったワケです。
これが98年のこと。

結果はどうなったか・・・。
99年に東邦、00年に第百、千代田、大正、協栄、01年に東京・・・と、破綻の嵐。

知っている人からすれば、必然の結果なんですけど、そうなると当然のごとく、こういう声が上がる。
「破綻したどの会社も、ソルベンシーマージンが200%を上回っているってのは、どういうことだ! 計算式自体がおかしいんじゃないのか?」

その通り。
いきなり10倍になったり、全社が200%を上回るような計算式に変えちゃったんだもん。
で、「おかしいぞ」の声が上がったので、ほんの少しだけ計算式を見直して、現在公表されているソルベンシーマージン比率があるワケです。


あなたが知っている、あなたの会社の今のソルベンシーマージン比率の数字って、こういう経緯を経ての数字なんですよ。
ベテランの方なら、皆さん「ああ、そういうこと、あったよな~」って言うでしょうけど、当時のことを知らない人の方がはるかに多くなっちゃっただろうから、「歴史と真実」をお伝えしておこうと思った次第なのです。

私、その時、大蔵省と生命保険協会の人間に、ちゃんと確認したんですよ。
私、慶應義塾大学卒業なので、公官庁にも大手保険会社にも、同期の友人はたくさんいますから。
その中の2人と酒飲んで、実情を聞いてみたら、「大きな声じゃ言えないけど、まあ、関係者は誰でもわかってるだろうしね。お前の言う通り」でした。
ヤバイ数字は発表できないから、計算式を大幅に変えたということなのです。

ちなみに、ニッセイさんが太陽を抜いたのも、推測通り。「丁度イイ機会だから、ニッセイを1位にしましょうよ」ということ。ただしその計算式を作るのに、少々手間取ってしまって、時間が掛かった・・・とのことでした。
私の手元にある、1995年のダイヤモンド「生命保険特集号」のソルベンシーマージン比率の一覧には、25の会社が記載されていますが、その中で、既になくなっちゃった会社が12社もあります。
そして、200%を超えている会社は5社しかありません。
ソニーが2019%、プルデンシャルが1454%、アメリカンライフ(今のメットライフ)が392%、アフラックが323%、太陽が283%。漢字生保は太陽生命のみです。

算数苦手な私でも簡単に計算できます。

25社-5社=20社
20社-12社=8社


念のために書いておきますが、上記は、当時を知っている人なら誰でも知っていることですし、ネットで調べてみれば、単なる事実として記載されていることですからね。

最後にちょっと余談。

今でも、生命保険協会とか生命保険文化センターが発行する冊子や資料のようなものの最後のページに記載されている「生命保険会社一覧」って、「いろは順」なのですか?

当時はちゃんとカッコつきで「いろは順」って記載されていました。
なぜ50音順じゃないの?

理由はすぐにわかると思いますけど・・・ホント、おかしな世界です。