思うところあって、今日は8時に起きようとアラームをセットしたのですが・・・アラームは瞬殺され、起きたら10時でした。
でも、何の問題もありません。
前回の記事にもたくさんの反響をいただきました。ありがとうございます。
「キリスト教的世界観」における常識は、「和と言霊信仰」の日本においては通用しない・・・ということをちょっとだけ解説しましたが、今回はさらに根本的なことを書いてみたいと思います。
今でこそ、投資・家計・生命保険などの「お金に関するセミナー」は、日々、日本全国のいたるところで開催されていますが・・・昔からそうだったワケではありません。
私が生保セールスの世界に入った1995年頃は・・・まだグーグル先生がいなかった頃だから推測でしかないけれども、でも、間違いなく今よりもはるかに少なかったはずです。感覚的には、数百分の1とか1000分の1とかいったレベルだと思います。
なぜなら、今でこそほとんどなくなったように思えるけれども、私の著書「生命保険の正しい見直し方」が発売された頃・・・2007年だと思うから、今からわずか12年くらい前には、「お金のことを口にするのははしたない」といった感覚が、まだ残っていたから・・・。
だから「はじめに」の中に、そうした一文が書いてあるのですよ。
☆「生命保険の正しい見直し方」
こういう「感覚」のようなものは・・・本人は意識していないのですよ。
でも、祖父母・父母の世代には間違いなく「はしたない」という意識が、まだ厳然とあったのだから、米英と日本とでは、「環境の差」がしっかりと形成されているのです。
その証拠に、昨今は少しは改善されたとは言え、学校でお金の教育をしないでしょ?
お金の教育って、本来であれば義務教育のカリキュラムの中に入れるべきものですよ。でも、いつまで経ってもそうはならない。
そもそも教師がそういう教育を受けていないのだから、教えられるはずがないもんね。
こういうのが「環境の差」なのです。
で、こういうことを書き始めると、どんどん色々なことを書きたくなっちゃうから・・・本題に入ります。
英文和訳のビジネス書を読んでいて、セールストーク・・・「特に」生命保険のセールストークに違和感を感じる(「そんなんじゃ売れね~だろ!」になっちゃう)のは、「苦痛からの逃避」の言葉が、「死や病気のリスク」からスタートしちゃうから。
ちょっと解説が必要だよね。
消費者の「ウォンツ」(ニーズではないよ!)を喚起するには、「苦痛からの逃避」を訴える必要がある・・・まあ、セミナーを受けていない人はわからないかもしれないけれども、これが前提だと認識しちゃって下さい。
その上で。
キリスト教的世界観の中では、消費者は「死や病気のリスク」からスタートすることに対して、何の違和感も感じない。当然のこととして受け入れられる。
ところが「言霊教的世界観」の日本においては「縁起でもないこと」と捉えられてしまう。
「そんなことないよ」というあなただって・・・結婚式でスピーチを頼まれたら、「分かれる」「切れる」「死」「病気」なんて言葉は使わないよね。
そういうことをやると、今でも「常識のない人」だと思われるし、新郎新婦の親族からはかなり避難罵倒の言葉が出て来てしまうはずです。
でも、キリスト教的世界観においては、そもそも神父さんが、平気で「死が2人を分かつまで」って言っちゃうんだよね~。
つまり、購買心理学的に言うと、日本人の感覚では、嫌悪感を発生させる言葉を使った瞬間、「人は一刻も早くその場から逃れようとする」・・・これが「定理」なのよ。
だから「日本人はリスク管理が下手」だと言われるし、はっきりと「NO」を言わないのも、「和を乱すという、日本人にとっては大きな嫌悪感」を発生させるのがイヤだから。
だから、「小さなYESを積み重ねて行く」なんてセールストークのスキルも、私からすると「何を言っちゃってるの? あり得ね~よ!」になってしまうのです。
こういうことがわかっていないのに、偉そうに「活動量だ!」と連呼することしかできない会社と指導者・・・。
そして、自分の頭で考えることをせずに、「場違いなこと」ばかりをやらかしてしまう生保セールス・・・。
だから93%が廃業に至ってしまうのですよ。
これについては、もっと詳細に、かなりの事例をあげて書くことができるけれども・・・それは今月のマーケティング・レターに書きます。
ということで、マーケティング・レターの執筆に移るので、今日はこの辺で。