最高の誕生日!

生命保険営業の本質!

 昨日、誕生日を迎えました。
 62歳になりました。

 誕生日の1週間くらい前から、急にやる気がなくなっちゃったんだよね〜。
 まあ、春先なので自律神経失調が出かかっていることもあるのだけれども、それにしてもやる気が出ない……。

 そんな中、誕生日の前日の3/30に、大学の同期の「還暦の祝い」というものに出掛けて行きました。
 国文学科の友達からのお誘いだったから、てっきり学科の中での会だと思って行ったんだけど……知らない人ばっかし。
 受付に知っている人がいたから「これ、どういう集まりなの?」と聞いたら、三田会(という巨大組織が慶應にはある)で何らかの係りをやっている人たちが、友人に声をかけて集まった……とのこと。
 「そりゃ知らん人だらけだわな〜」「そういう『会』とか、あんまり好きじゃないし……」「少々場違いなところに来てしまったのだな〜」と思いつつ、ワインをなめておりました。

 そうしたら……何人かが私を発見してくれたんだよね〜。
 特に、所属していた部の部長がいたのが嬉しかった。
 でも、彼は男だし、「終わったらどこかで飲み直そうよ」と早々に言って、かつての美女を「今でも美女だったらイイな〜」と思いつつ、探しに行きました(笑)。

 最初に声を掛けてくれたのは……残念ながら男性(笑)。
 「佐藤です」と言われても分からなかったんだけど、「25周年の時に題字でお世話になった……」と言うから、「あ、印刷屋さんの社長さんですね!」。
 卒業後25年目にも毎回大々的な集まりがあって、記念誌も発行されるのだけれども、その題字を書いたのが私なのです。
 もちろん会場のステージにも、ド〜ンと私の字の横断幕が掲示されていました。
 しかしまあ……入稿も校正もメールでのやり取りだったのに、よくも私を認識してくれたものです。
 オレなんか、受講生であっても「お前、誰だっけ?」と平気で言うのにね(ただし男の場合のみ)。
 「真面目なビジネスマンというのは、違うもんだな〜」と感心いたしました。

 それにしても……その社長が私を認識してくれたのは、私が題字を書いたから。
 まさにこれこそ「強みを生かしたからこそ」なのです。


 その後、「あみちゃん」という子が声を掛けてくれました。
 あみちゃんは、1年の時のクラスが一緒だったんだけど……男ばかりの荒くれた環境で中高6年間を過ごした私にとっては、美しさに気後れして、声なんか掛けられない存在でした。
 4年の時には、女子バトミントン部のキャプテンだったしね。しかも家は超お金持ち。
 才色&金兼備。
 還暦になっても、美しさにクラクラしました(笑)。

 彼女は誰でも知っている上場企業の社長秘書をやっていたんだけど、今は従業員が530人もいる子会社の社長さんなんだって。
 すっげ〜よな〜。
 そんなあみちゃんはとっても気さくで可愛らしくて……社員たちは「社長、綺麗だよな〜」「還暦には全然見えないよな〜」と誇らしく思っていることでしょう。

 あみちゃんとは学生時代には挨拶程度しかしたことがなかったけど、今になって声を掛けてくれて、話ができるようになったのは、彼女が私のライブに来てくれたから。
 新橋で月イチでギターを弾いていた頃に、ご学友に連れられて来てくれて、その後、何回か一緒に飲んで、それから話ができるようになったのです。

 まさに私の強みが生きた……ということなのですよ。


 その後、閉会後に部長さんと飲んで(飲んだ店も、社長が中高大学が一緒の創業200年の老舗の蕎麦屋。今の社長は11代目)、その後1人でかつてのバンドメンバーがやっている「昭和歌謡BAR」で飲んで、大宮までタクシーで帰って、行きつけの「ダニ若」に乗り付けました。
 超久しぶりのハシゴ酒です。

 オレは常に口開け客だから、閉店間際に入って行ったら、常連さんたちから「あれ、三洞さん! 珍しいですね!」と言われたけれども、すぐに「ちょっとだけ早いですが、お誕生日、おめでとうございます」の乾杯になって、その後、4人でBARに行って絶品の「あまおうのカクテル」を飲んで、さらに我が家に流れて、夜中の2時半まで酒を飲みました。
 もちろん記憶は途切れ途切れですが。


 翌朝……誕生日です。
 10時ちょっと前に、喉の渇きで目が覚めて、普通なら水を飲んで二度寝・三度寝の世界に入るのだけれども……日曜だから受講生が「朝活&ひよこ組」をやっている!と思ったら……オレはホント、好きな受講生が相手だと「やる気!」が出るんだね〜。
 二度寝には入らずに、あわててZOOMに入りましたよ。

 入った途端、受講生から「先生、かなり来てますね(笑)」と言われたけれども、二日酔い以前の、まだ酒が残っている状態(笑)。そういう顔をしていたのでしょう。
 でも、楽しくZOOMに参加した後、LINEを見れば……「お誕生日おめでとうございます」のメッセージがドワ〜っと来ていました。
 しかも、宅配便が頻々とピンポンを鳴らす。
 日曜なので社員がいないけれども、誕生日のプレゼントだと思うから、喜んで出て行きましたよ。


 その後、春の甲子園の決勝だったから、ぐったりと横になって試合を見て(非常に楽しい試合だった。健大高崎、おめでと〜!)、その後睡眠に入って、起きて汗でベトベトになった体をシャワーで清めて元気になったので……再び「ダニ若」に出掛けて行きました。

 受講生の「ワークを進めるの会」の幹事さんたちが贈ってくれた、似顔絵入りの、派手で可愛いスニーカーを履いて出掛けました。
 パーカーも彼らが還暦の祝いで贈ってくれた似顔絵入りのもの。
 「どうだ〜!」と靴とパーカーを見せたら、みんなが「うわ〜っ!」「すげっ!」「かわいい〜!」と言ってくれました。
 そして、常連さんたちもプレゼントを用意してくれていて……62歳にもなってこれほどまでに誕生日のプレゼントをもらえる……しかも24歳美女がハグしてくれるなんて……「どんだけ幸せなんだよ!」と思いましたよ。


 その朝、還暦の祝いで会った同級生の女性からも、LINEが来てたんだよね。
 「イソダがあきらかに一番若くて、一番カッコ良かったよ。目立ってた」って。

 オレも実は「そうだろうな〜」と思っていたんだけど(笑)……昔(バブルの時期)は、「慶應だぜ!」とチャラチャラしていた男たちばっかしなのでしょう。
 でも今は、ただの地味〜ズなオッサンばっかしでした(1人だけファンキーなオッサンがいたけど)。
 だから、真っ赤なシャツに(還暦の祝いなんだなら、赤を入れろや!)、花柄のジャケットで、スリムパンツにブーツで、うすらハゲだけど赤っぽい髪色のオレは、「一番目立っていた昔の男の子」だった思うのですっ!(笑)。


 ここまで、今回の「三洞のど〜でもイイ話」を読んでくださったみなさん、ホント、ありがとう。
 私が言いたかったのは、「やる気」なんてどうでもよくて……と言うか、「やる気」なんてものはヤバいのよ。
 なぜなら、自然に「楽しい」と思えることじゃないとできないのだから。

 私は2004年に「WEBだけで保険が売切れるようになろう!」と思った瞬間にスイッチが入った。
 で、その後5年間、毎日書いていたブログには、今日書いたような「ど〜でもイイこと」を書いていたのよ。
 だから今後は、こんな「ど〜でもイイこと」を書く機会が増えると思います。
 「ノウハウコレクター」や「タダでクレクレ!」のみを求めている人は去るだろうけれども、お互い、その方がイイんだよね。
 情報過多の時代なのだから、欲していない情報はカットした方がイイし、私だって、そういう人に向けた情報を発信する気はないから。


 で、最後に「ど〜でもイイこと」の話に戻るけれども、思えば今年の誕生日は、今までで最高でした。
 誕生日になった瞬間は、24歳美女がくっついていてくれたのだからね(笑)。
 誤解を避けるために言うけど、目の前には彼女のパパがいたのよ。
 でも彼女は、「イソさん大好き!」と言ってくれて、くっついてくれている。

 オレが24歳の時は、そんなことはなかったし、以前も以降もそんなことはありません。
 だから最高に幸せでした。


 以上。
 この話が役に立ったのかどうなのか、オモロいのかつまらないのか……それは読者が感じること。
 今後も同様に、オレが好きなように書いて行くつもりです。

 付き合ってくれる方々、今後ともよろしくお願いします。