ダンケネディの有名な言葉に「だからオファーなんだよ、バカ!」というのがあります。
どんなオファーを出すかが利益を決めるのだ、オファーを出さなかったら売れないに決まってるだろ?・・・という意味ですが、これを生保セールスの世界に置き換えると、上級者向けの少々長い話になってしまうので、今年中に書くつもりの「21のテクニック」あたりで書こうと思っています。
今日書くのは、もっとわかりやすい話。
「やれよ、バカ」みたいなお話です。
いきなり言い訳めいたことを書きますが、この「バカ」という言葉、嫌悪感を感じたり、中には「三洞さんが禁句にしている『マイナスの言葉』ではないのでしょうか?」なんて言われたこともあったけど、私の生まれや育ちからすると、ごくごく日常的な、親近感を表す言葉なのです。
以前に、セミナー受講生の女の子に「お前」って言ったら、「・・お前ですか?」と言われたことがあったけど、「ああ、そっちだと『お前』って呼ばれると違和感感じるのね。関東地区だと普通なんだよ。ゴメンね」って言いました。
「バカ」って言葉も似たようなもので、関東圏だとさほどの違和感は感じない人が多いんじゃないですか?
女性の場合は違うのかもしれないけど・・・。
特に私は、寿司屋のセガレでしたからね。
親父は至って丁寧な口をきいた人だけど、板前さんたちなんか、口は悪いし、すぐに手が出るし。
さらに、中学高校6年間を男子校ですごしましたが、そこは東京の下町の商人のセガレがたくさんいた学校でした。
下町の商人のセガレなんてのは、口の悪い人種の代表みたいなものですから、「○○に決まってんだろ、バ~カ」の、最後の「バ~カ」は、「必ず付く接尾語」のようなものでした。
だから、決して非難や罵倒や敵対心を示すものではなく、むしろその逆で、親愛の情を示すものなのです。
でも、地域が変わっても似たようなものでしょ?
仲がイイ相手だから、「バカじゃね~の」なんて笑って言えるんでしょ?
で、本題。
ダンケネディの「世界一シビアな『社長力』養成講座」という本に、こういうタイトルの一章があります。
「いくら活動しても、達成しなければ無意味」
ここに、前述の「やれよ、バカ」という言葉をあてはめると、「やれよ」には、3つの意味が生じるんですね。
まず最もわかりやすい「やれよ」の意味は、「数字、あげろよ」「結果、出せよ」。
そう、契約を入れなかったら収入がなくなっちゃうのだから、これはごくごく当然のこと。
ただ、この言い方では「どうやって」がないから、「頑張れ~!」って言っているのと変わらない。
そこで、2つ目の意味は「○○をやれよ」という「目的語」が必要になる。
でね、この「○○をやれよ、バカ」で売上を上げさせることができる指導者になるには、2つの要件があって、それは、
1、「○○をやれよ」の中身が明確で、かつ、その人の強みに合っている。
2、それで実際に成功している人がたくさんいる。
これなら、後から入って来た人たちも、「ああ、この人の言うことをきいてれば、先輩たちみたいに何千万も稼げるんだ」って納得できるから、どんな言われ方をしようが全然気にならないし、愚直にやろうとするし、すぐに結果が出るからさらに喜んでやるようになる。
ところがそんな指導者は滅多にいるものじゃなくて・・・って言うか、鹿児島の雪景色や那覇の降雪みたいに、滅多に見られるもんじゃない・・・これが実情ですよ。
で、ほとんどの指導者の「やれよ、バカ」は、
「やれよ・・って、何をやるんですか?」
「活動です」
「活動って、具体的には何ですか?」
「人と会ったり、電話をしたり・・です」
「それで効果があるんですか? なぜみんな売れなくて辞めちゃうんですか?」
「・・・それは私がバカだからです」
というオチにならざるを得ないワケなのですよ。
ということで、結論。
私からの「やれよ、バカ」を3つ、親愛の情を込めて贈ります。
(1)マーケティング不在のビジネスが成立するはずはないんだから、長く楽しく売り続けたいのであれば、覚悟を決めて、ちゃんと学べよ!
(2)学んだらちゃんと実行しろよ。やらなかったら成果も達成もあり得ないんだからね。根性見せなよ!
(3)で、楽しくいっぱい売って頂戴ね。達成なき活動なんて、全然意味がないからね。あくまで「報酬額」と比例する「活動」を「やれよ!」なのであって、「活動量」なんて漠然とした、間違った言葉に惑わされちゃダメですよ!
以上です。
さあ、「やれよ、バカ」。
・・・はやっぱり少々気が引けるから、言い直します。
「さあ、楽しくやろうよ! こんなイイ仕事、滅多にないんだからさ!」