(後編。昨日のメルマガに続けてお読み下さい)
では、「普通に考えようよ」って、どういうこと?
例えば私の場合、ありがたいことに、全国の受講生から頻々とお品が届きます。
先月はたくさんの方からお中元をいただきました。
美しくて優秀な社員たちにもお裾分けができて、とっても嬉しいです。
で、普通に考えたら……先生とか受講生とか生保セールスだとかの前に「人として」があるワケですよ。
だからもちろん、喜んでお返しをします。
贈るものはいつも一緒なのだけれども、私が喜んだ以上に喜んで欲しいと思って、「買えるけど買わない。でも、もらったら嬉しい」という品を送ります。
でもね、もし私が、「先生なのだから、貢ぎ物が来て当然なのだ」とか、「一々お返しなんかしていられるか!」なんて思って、もらうばかりだったら……きっと、嫌われちゃうでしょうね。
嫌われはしなくても、「人として、どうなのかな?」と思われてしまうのも仕方のないことです。
私が小さい頃、「クレクレタコラ」っていう、実写版の不思議な番組があったんだよね〜。
いまだに主題歌の一節を覚えています。
「♪ 何でも欲しがる、ク〜レクレタコラ〜」っていう歌でした。
今はホント便利な時代だよね〜。
ウロ覚えの番組であっても、ググれば詳細が出て来るのだから。
こんな内容の番組だったそうです。
「不思議な森に住むタコ怪獣タコラは木の家に住み、その上から望遠鏡を覗いて欲しいものを見つけると、それを何とかして入手しようとする。場合によっては極めて暴力的な手段を用いるが、多くの場合企みは失敗し、手痛い報復を受けて終わる」
何かシュールだよね〜。
でも、子ども心にも、「笑えない番組だな〜」という印象を抱いた記憶はあります。
ということで、気付きの2つ目はこれ。
「あなた、クレクレじゃない?」
クレクレば〜っかり言っているヤツは……嫌われて当然なのよ。
タコラなのよ。
でも、生保セールスって、常に「クレクレ」ば〜っかりでしょ?
「話を聞いてクレ」「アンケートに協力してクレ」「質問に答えてクレ」「プレゼンさせてクレ」「保険に入ってクレ」「紹介クレ」……。
「クレクレ」ば〜〜〜っかしのタコラ。
だから、嫌われて当然なのです。
「多くの場合企みは失敗し、手痛い報復を受けて終わる」のですよ。
「普通に考えようよ」っていうのは、こういうこと。
「生保セールスなのだから」の前に「人として」があって当然です。
でも、人として嫌われる「クレクレ」を「たくさん」やるから売れるのだ……という、人非人的な教育しかできないのが、業界の通念。
その結果、保険屋は嫌われる……必然の結果ですよ。
では、どうしたらイイの?
それは、既に2000年以上も前に明らかになっています。
お釈迦様もキリストさんも言ってるよね。
「与えるから与えられる」「まず与えよ」って。
それが幸せになる道だって。
昨今のビジネス書や自己啓発書にも……マーケティングやセールスの本にだって、同様のことが書かれていますよ。
「与えるから与えられる」「まず与えよ」……これが「前提」なのです。
特に2000年以降は「それがなかったら売れない」というマーケット環境になっている。
大量生産・大量消費の時代はとっくに終わったのだからね。
作って、宣伝して……だけでは売れない時代になった。
そこでは「心情的つながり」が消費活動の中心になっている。
「クレクレ」が以前よりもはるかに嫌われる時代なのよ。
ドラッカー先生が「マーケティングとはセールスを不要にすることである」と言ったけれども、この「セールス」とは、まさに「クレクレ」のこと。
こっちから「買ってクレ」というビジネスなんて、もはや通用しない。完全にそういう時代に突入しているのだ……と、ドラッカー先生は15年前に言っているのです。
それなのに……もはや通用しない「クレクレビジネス」をやっている人が大半だから、3年以内に93%が廃業に至る……必然の結果でしかありません。
私は、今は理由あって有料にしたけれども、1年半ほど「生保セールス進化論」の本を、希望者に無料で進呈していました。
つまりは「まず与えていた」。
だから「欲しいです!」と見込み客が手をあげてくれる。
私のセミナーの受講生たちも、「まず与えて」います。
私の「生命保険の正しい見直し方」の本を与えている人もいます。
自分で書いた本(冊子)を与えている人もいます。
無料のセミナーを与えている人もいます。
古川くんも、YouTubeで膨大な情報を与えています。
だから、見込み客が手をあげてくれるのです。
ということで、2つ目の気付きは、「あなた、クレクレじゃない?」。
普通に「人として」を考えたら、クレクレは嫌われて当然です。
でも、あなたが日々やっていることは、まさにクレクレなんじゃないの?
そんなもん、ビジネス云々の前に「人として最低」なのよ。
そこに気付いて下さいね。