今日は「パワスポ三洞自分コンサル塾」の日です。
前々回(11月)は、それこそ北海道から沖縄から、日本全国から受講生が集結してくれました。
前回(12月)は、野沢温泉村での開催。楽しかったな〜。
今回は、さすがにコロナがひどくなっちゃっているので、リアル参加は関東圏の3人だけ。
でも、ZOOMがあるおかげで、日本全国の受講生とリアル気分でつながることができます。
昨日も、金沢の面会者と、札幌の受講生とお話ししたしね。
こういうご時世に、60年前の売り方が通用すると思う?
とってもイイ一文があったので、紹介します。
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……祖父はそういう人だった。
1892年に生まれて、101歳まで生きた。8ヶ国語を話し、紆余曲折を経験し、100歳になるまで自宅で暮らし(自分で芝を刈っていた)、最後の最後まで爆竹みたいに活気にあふれていた。
100歳のお祝いパーティーで、祖父は私をそばに呼び、「なあ、ジョン」と言って咳払いした。
「ライト兄弟の飛行機が飛んでから、ニール・アームストロングが月に立つまで66年だ」。祖父は感慨深げにうなずいた。
「わしが生まれたころには馬が馬車を引いていた。死ぬ時にはスペースシャトルが飛んでおる。こりゃあいったいどういうことだ?」
祖父の目がきらりと輝いた。
「いい人生だったということさ!」
祖父はその1年後に亡くなった。
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私は、「会いに行かなきゃ保険は売れない」と「思い込まされちゃっているアホな人たち」に、「お前ら、飛脚か!今は令和で、江戸時代じゃネ〜んだぜ?」とよく言うけれども、お祖父さんが言ったように、ライト兄弟の飛行機が飛んでから人類が月に降り立つまで、たったの66年……。
その間の社会環境の変化は凄まじいものがあるし、しかもそれは年々驚異的に加速しているのです。
実際、マーケティング・プランナーとしての経験で言っても、私が社会人になって研修を受けていた時(1987年頃)は、ビジネスサイクルは30年周期と言われていたけれども、そこからほんの2〜3年で20年周期と言われるようになった。
そして、生保セールスになった頃(1995年)は15年周期と言われるようになった。
事実、ソニプルの誕生から生保系代理店の誕生までが17年なんだよね〜。
いわゆる「ライフプランナービジネス」「コンサルティングセールス」という「売り方」が衰退期に入ったということ。だから自然発生的に代理店ビジネスがどんどん出て来る。
神田さんが、1999年刊行の本の「はじめに」で、「コンサルティングセールスというやり方はもはや通用しない」と書いているのも当然なのです。
で、そこからショップが出て、リーズが出て、ネット販売オンリーの会社が出て……といった小さな変化は起きているけれども、そうした新興の「やり方」は、すでに5年周期になっちゃっている。
念のために言っておくけれども、5年周期というのは「5年しか通用しないよ」ということではないからね。事業の成長のカーブが5年ぐらいで頭打ちになって、水平に近づいてしまうということです。
今のトレンドは、「地獄社のセールスレディいじめビジネス」。
他社に負けない、多くの生保セールスが売りたくなるような商品を作って、新たに作った小会社を通じて代理店に売ってもらう。
セールスレディには売らせない。売らせないどころか、情報統制で、その商品の存在すら知らせないようにする。
そして「ウチの商品は最高!」と言い続ける……。
まあ、これ以上は詳しくは書かないけれども、マーケットの変化(=顧客の購買真理、購買行動の変化)は、これほどまでに加速しているし、それがコロナでさらに急変しつつある……これが現状なのです。
とは言え……いや、だからこそ、今の日本で生保セールスの仕事をするというのは、ものすごくラッキーなことなのよ。
マーケティング的に普通に見れば、それは明らか。
受講生は分かってるよね。「日本は世界最後の楽園」なのです。
それが分かれば「いい人生だったということさ!」と言えるんだけどね〜。
そんな恵まれた環境にいるのに、60年前のやり方を強要され、売れずに苦しむって……もったいなさ過ぎでしょ!
何やっちゃってんの?……としか思えませんよ。
時は令和です。
2021年なのです。
ライト兄弟が飛行機を飛ばした頃と同じやり方って……あり得ませんよ。
早くそんなアホ過ぎる世界からは脱出して下さいね。
100歳の誕生日に、目を輝かせて「いい人生だったということさ!」と言えるように。