馬鹿な大人の言うことなんか・・・

三洞の「これが言いたい!」

 野田知佑さんの本を読み返しています。

 「少年期」・・・実に良いです。
 子供の頃、なぜ虫や魚を捕る事が、あれほどに楽しく心踊ることだったのだろうかということを思いました。

 「大人なったらできることがたくさん増える。だから自由になれる」

 そんな一文がありました。
 でも、今のほとんどの子供がそうは思っていません。
 理由は明白です。
 不自由な大人たちを見て、彼等の愚痴を日々聞いているからです。

 だからこそ!
 私たちは、そんな大人になってはいけないのです。

 子供にはぜひ読んでほしい本です。
 今日の夕方、帰宅した息子に、「これ、読みな」 と渡しました。
 読んで、何かを感じてくれたら良いと思います。

 そして今は、その続編と言える 「旅へ」 を読んでいます。
 心躍る、美しい文章がたくさんあります。
 そのほんの一部を抜粋して紹介します。

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 ・・・ただ、その前にやることがある。何かよくわからないが、この胸中にあるモヤモヤをすっきりさせてからだ。その決着をつける前に会社勤めをして、「人生に食われる」 のは何としても厭であった。ぼくの周辺に現れる大人たちは大ていぼくの顔を見ると 「早く就職してマジメになれ」 と説教した。馬鹿メ、とぼくは心から彼等を軽蔑した。マジメに生きたいと思っているから就職しないで頑張っているのではないか。不マジメならいい加減に妥協してとっくにそのあたりの会社に就職している。第一、マジメになれ、といっているその大人たちを見ると、どうしてもマジメに生きているとは思えなかった。何一つ選択しないで、ただ流されて生きているだけではないか。あんな意思的なもののない人生なんてまっぴらだ、そう思っていた。

 ・・・驚いたことに、ここでぼくは大人に好かれていた。日本では二、三の例外を除いて、大人たちはぼくを敵視、白眼視していた。その種の 「敵意」 に慣れていたので、とまどった。
 例えば、日本で友人の家に行き旧交を温める。しばらくするとそいつは「会社を辞めて放浪の旅に出るのだ」といい出す。本当に旅に出たければ、黙ってさっさと出て行けばいいものを、本気でない奴に限って大騒ぎするだけして結局は実行はしないものだ。彼の家の者は慌て、親が出てきて 「うちのマジメな息子をそそのかしては困る」 とぼくに抗議をした。

 ・・・ストックホルムに近い町で拾った車には、裕福そうな中年の夫婦が乗っていた。夫人がぼくに軽い調子で 「将来、何になるつもりか」 と聞いた時、男は厳しい口調でこういったものだ。「人間が将来何になるか誰にも判らんよ。俺だって六回も職業を変えた。二十代の時、今の俺を想像できなかった。まあ、いろいろやってみるんだね」
 別の時、拾った車を降りて有難う、というとハンドルを握っていた頭の禿げた男はいった。
 「俺も若い時に世界を放浪したよ。そうやってもがいているうちに自分にぴったりの穴の中に落ちつくものだ。グッドラック」

 ・・・何をやってもいいのだ、人はどんな生き方をしてもいいのだ、という考えを持つ人々の間で生活するのは強い開放感があった。
 毎日、ドキドキするような魅力的な人間と出会った。夜寝るのが惜しかった。
 日本では拾った車の持ち主とよく口論をした。ぼくが何もしていないと知るや 「マジメになれ」 とか 「世の中は甘くない」 とかいって説教する馬鹿な大人たちには全く我慢がならなかった。こんな阿呆面をした人間でも妻子を食わせてやっていけるのだから、日本という世の中は甘いもんだ、と思った。

 ・・・「どうも、イタリア人は分が悪いな」
 「本当だから仕方ないよ。どうせ俺たちはアモーレ(恋)とカンターレ(歌)とマンジャーレ(食欲)で生きているんだ」
 彼の名前がまたいけなかった。アントニオ・ボッキッキというのだ。彼と近くの浜辺で魚を獲って遊んだ。日本の川のハヤを獲るための短い小さな三間(5,4メートル)の刺し網を持って来ていた。それを海に張って追い込むのだ。小さなイワシ科の魚が面白いように獲れた。アントニオはその魚を持って近くの家に行き、ワインと交換して来た。
 ついでにその家にいた美しい姉妹もひかっけて連れてきた。アモーレも悪くない。その夜四人で浜辺でギターを弾いて歌を歌った。
 もう溺れ死んでもいいや、と投げやりになっていた前日の憂鬱はすっかり忘れ、人生って何て楽しいんだろう、と思った。
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 若人たちよ、野田青年の言う通りです。
 分別臭い言葉を口にする、子供並みの実力しかない大人の言うことなんか、聞く必要はありません。
 人生は自分のものなのです。マジメにジタバタして、あれこれやってみればイイのですよ。

 「あの頃、まわりの大人たちはぼくたちにないかあるとすぐ、世の中はそんなに甘くないぞ、世の中はもっと厳しいぞ、と言って脅したけど、実際に世の中に出てみたらぼくが思っていたより何倍も甘かったと思う。ぼくの希望や夢をあんな言葉で圧殺して邪魔した大人たちは許せませんね」

 あとがきの中の、野田さんがかつての仲間と出会った時の、その仲間の言葉です。
 そう、分別臭い言葉を口にする大人は、世の中の迷惑であり、害悪なのです。
 はっきりとそう認識して、明るく楽しく、思いを叶えるべく、理論に沿ってジタバタしましょう!