乳離れの日

生命保険営業の本質!

 家内が実家に帰り、家には私一人。
 そのに母が店から帰って来た。

 具合が悪いと言って寝室で寝てしまう。
 数日前、父と弟から、
 「お母さん、体調が良くない、胃が悪いらしく、食事もあまり摂らない」と聞いていた。
 夏の昼下がり、急に心が寒くなる。

 私は長男だが、当時にすればかなりの高齢出産の子であり、今年、母な喜寿を迎えた。
 毎日、父の店で身綺麗にして働いているので、実年齢よりもはるかに若く見える母である。
 若い頃に「お姫様」とあだ名された性格は、きっちりと私が受け継いでいる。

 夕方になると、母が仕事部屋にやって来た。
 珍しいことなので何事かと思うが、気弱な声で、
 「お兄ちゃん、済まないけど、晩御飯、外に食べに行ってちょうだい」と言う。
 私は「済まないけど」などと言われるのが悲しくて、
 「もともと今週は一人のはずだったのだからかまわない。済まないなんてことはないんだ」と素っ気ない口調で答える。

 そして数十分後、母が再びやって来た。
 「本当に済まないけど……」
 その言葉を聞き、余程具合が悪いのだと心配になる。
 「ご飯を作れないから……外に食べに出るなら、一緒に連れて行ってちょうだい……」
 すぐに着替えて近所の中華飯店へと向かう。

 精神的な疲れもあるのだろうから、少しは気持ちが和らぐかと、薄めの杏露酒のオレンジジュース割りを注文してあげる。
 母は「美味しい!」と、ようやく明るい顔になる。
 カクテルをゴクゴクと飲む母に、私は「それは酒が入っているんだ」と注意をする。

 食べやすい物をを思って選んだ料理を、母は「美味しい。来て良かった」と口に運ぶ。
 ようやく私も安心し、紹興酒のお代わりをする。
 祭りの話、近所の人の話、母方の親戚の話……。

 その内ラストオーダーとなり、私が会計をして店を出る。
 母は「お兄ちゃん、済まないね。ごちそうさま」と言う。
 今までは、どんな時でも、40歳を過ぎた息子であっても、会計は母が済ませてくれた。
 それが初めて、何も言わずに「ごちそうさま」とだけ……。

 今日、何度目かの「済まないね」を言われて、これまであなたがしてくれた事は、この数千倍、数万倍なんだよと思ったら、道を歩きながら涙が止まらなくなった。

 今、この日記を書きながら、また大泣きしている、ようやく乳離れできたかもしれないダメが男がここに一人……。


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 忘れかけていた私の過去の「ストーリー」を、ラジオで朗読してくれたアナウンサーの方が送ってくれました。

 あなたも、あなたのストーリーを紡いでください。