子供の頃って、何もすることがなくても、いつもほのかに幸せですよね。
梅雨の時期に、縁側に寝転がって、ず~っと雨を見ていたことを、今でもはっきりと覚えています。
つい先日、和田という小僧が突然私を訪ねてきました。
その日、WEBで私を発見し、ブログに書かれた記事を全部読み、「これは行かなきゃ!」と面談を申し込んできました。
丁度、東海林男爵と飲む予定だったから、その席に混ぜてあげました。
その席で、彼が「日々抱えている不安」を口にしましたが・・・まあ、誰もが言うようなことですよ。
「何を、どうすればいいのかわからない」
「誰に聞いても『活動量』という言葉しか返って来ない」
「休みの日でも心が落ち着かない」
私がセミナーで言っている「不幸に根ざした教え」に身を置いちゃうと、誰もがこういう状態になってしまう・・・。
休みの日なのに安寧な心で過ごせないなんて・・・まさに不幸です。
「不幸に根ざした教え」で仕事をしちゃうと、たとえ少々の結果が出たとしても・・・あんまり幸せにはなれません。
仕事のために子供と離れて暮らす・・・なんてのはその典型。
まったく「正しい目標」が見えていない状態で仕事をするから、そういう愚劣なことになっちゃう。
心の安寧が得られないというのは、すべて「何をすればいいのかわからない」に起因しています。
それをさらに推し進めるのが「活動量」という実体なき言葉。
だから私はそれを憎むのです。
昨日も受講生のLINEグループは賑わっていたけれども、そこに書かれていたのは・・・
●「これ(見込み客や契約者に送るレター)、作りました!」が2件。そしてその感想。
●それを見て泣いたヤツが出現!(オレ)
●感想、たくさん。
●「やってないヤツはさっさとやれ!」という叱咤(オレ)
さらに、
●一部屋増築して、そこをサロン&商談スペースにするという計画
●それに対する感想と提案
そして、締めは酒と遊びの話・・・。
ここには「何をすればいいのかわからない」はありません。
「やること山積で追いつかない」ばかりがあります。
それは、「やるべきこと」が明確だからこそ起こります。
そして、「これをやりたい!」がたくさんあります。
やるべきことが見えていると、やりたいことも次々と出て来るのです!
そこには、高揚感と期待感しかありません。
最後には、遊び、酒・・・。
「休みの日でも心が落ち着かない」なんて状態とは対極の世界です。
日々を楽しく送れないのは「不幸に根ざした考え方」の中に身を置いちゃっているからなのです。
生保セールスは、本当に素晴らしい仕事です。
ただしそれは、あくまで「手段」として素晴らしいということ。
何のための手段かと言うと、幸せな日々を手に入れるための手段・・・。
これが「幸福に根ざした考え方」なのです。