成功のためには「自由」が必要

生命保険営業の本質!

 私は、寿司屋の家に生まれたし、自分でも飲み屋をやっているし、弟も和食の職人(本も書いてます!)だから、飲食店経営の友人や仲間や契約者がたくさんいます。

 まあ、こんな状況下でも、みんなそれなりに何とかやってますよ。
 昼日中に家族連れで来るような店をやっている人はいないし、元々、「GWの間は“ないもの”と思ってます」(客が来たらラッキー……ぐらいに思っているという意味)って言ってる店もあるからね。


 バブルの頃には、複数の店舗を経営した友人も何人かいます。
 当然、従業員の数も増えるし、そうなると、従業員教育も必要になる。

 私は、お客さんではあるけれども、「社長のお友だちの、内輪のお客さん」だから、どこの店に行っても優遇されるし、私は飲食店の店員には優しいから、店員さんたちもとっても仲良くしてくれます。

 同時に、社長とは友人だから、一緒に飲んでいると、社員への愚痴も出る。
 「あいつ、ホント、気が利かないんだよな~」とかね。
 私が飲んでいる目の前で叱ることもあるし。


 で、飲食店ってのは、従業員の在籍年数が短いものです。
 すぐに辞めちゃうバイト……は論外だけど、店長になっても3年ぐらいで辞めてしまう。

 イヤ、辞めた方がイイのですよ。
 なぜなら、個人経営の店(法人化していたとしても、「社長と仲間たち」みたいな感じの店)に入って来て、店長になって店を任されるような人は、「いずれは自分の店を持ちたい」と、最初から思っている人なのだからね。
 その人にとっては、辞める方が、私からすると「おめでとう」なのです。

 でも、社長はそうは行かない。
 だって、店を任せられるようなスタッフなんて、そう何人もいないからね。
 「どうしよう……」と頭を抱えることになる。
 そして、仕方なく、店長の下で「セカンド的」に働いていた人を、店長にする。

 もちろん、最初は不安なのよ。
 「あいつにできるかな~」って。
 普段から、「あいつはさ~……」って、ダメ出ししていた人なのだから。

 ところが……大抵の場合は、あっという間に、以前と同様、安心して店を任せられるようになる。
 もちろん、経営者としてのダメ出しや改善要求はしますよ。それは当然。
 でも、以前とは違って、「ダメ出し」ではなく、「お前、店長なんだから、『ここがダメ』とか、『こうしたい』とか、『こっちの方が儲かる』とかいう話を持って来いよ」みたいな「要望」を伝えるようになる。

 私が見ていても……急に変わるんだよね~。
 昨日まで「頼りない」と思って見ていた小僧が、「一気に5歳、歳を取ったのか?」と思えるほどに、しっかりとした人に変わる。
 口数も増えるしね。
 自信を持って、伸び伸びと仕事をするようになる。

 そして、ついには自分の店を持つ。
 そんな仲間が数人いるけど、彼らは、10年、20年と、今もちゃんと経営を続けているからね~。


 で、後年、自己啓発書などを読んで、「なるほど、その通りだな~」と思いましたよ。
 人は、命令されたり、頭を押さえつけられたり、自由を抑制されたりすると、本来持っている能力の、ほんの少ししか発揮できないものなのです。

 店長になった小僧たちも、まさにそう。
 店長になると、命令されたり、頭を押さえつけられたり、自由を抑制されたりする機会が極端に減るから、急に「仕事ができるようになる」。
 そして、意識が、「単なる雇われ人」から「経営側の1人」に変わる。
 そうすると、本来持っていた起業家意識が目覚め、卒業し、自分の店を持って、「真の事業主」になる。


 ところがっ!!!

 地獄社は言うに及ばず、外資系の会社だって、一社専属の場合は……

●「こうやれ!」と命令される。

●研修に出ろとか、見込み案件の報告をしろとか、たくさんの命令がある。

●ヒドい会社の場合には、外資系なのに毎日の出社を強要される。

●勝手な売り方をすると、結果に関わらずダメ出しをされる。

●事業主に上司なんかいるはずがないのに、自分を上司だと思っている人間のクズがいる。しかもそのクズの命令に従ってしまう。

●「社員なのだから」と勝手に思い込んでしまう。

→その結果、いつまで経っても起業家意識が芽生えず、必然的に廃業となる。

 このケース、非常~~~に多いのですよ。


 あのね、自分の脳力をきちんと発揮するためには、それができるような「環境」を自分で整え、そこに身を置いて仕事をしなければならないのですよ。
 会社員だって、「なぜあの人だけ、自由にやってて怒られないんだ?」という人は……事実、存在します。
 そういう人は、ちゃんと自分のポジションを、自らの手で「作った」のよ。

 だから……1社専属でいる人の気が知れないけれども……1社専属であろうとなかろうと、命令されたり、頭を押さえつけられたり、自由を抑制されたりする環境から抜け出る努力ができない人は、「そもそも起業家として失格なのだ」ということを認識するべきなのです。