ほとんどの日本人に嫌われる売り方

生命保険営業の本質!

昨夜、飲んで帰ってから、受講者向けのメルマガにものすご~く大事なことを書きました。
 
今朝読んだら、あらためて「名文だな~」って思ったけど、同時に「これ、本質的なことは書いてあるけど(いつもだけど)、理論的なことは書いてないから、一般用にも書くべきだ・・・って思いました。
 
今は、書くネタを忘れない内に書きますが、次号はそれを送信します。
 
で、今回も受講者用のネタからの派生。
受講生には、「ポストイット」を題材に、売上を一気に増やす具体策の例を書こうと思いました。
そうしたら、「その前の基本的なことは、一般用に書けるな」と気付いたので、書いてみます。

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ほとんどの日本人に嫌われる売り方

 これは「世界No.1億万長者メーカー」のダン・ケネディの言葉。
 もちろんドラッガー先生だって、他の先生たちだって、同じことを言う。
 
 そりゃそうですよ、単なる事実なのだから。
 異論を唱える人なんて、ビジネスの世界に居るはずがありません。
 
 ビジネスの世界じゃない、気の狂った人(狂信者)だけが「愛」「使命」「活動量」などとほざいているのです。
 
 
 で、受講者用に書こうと思った「ポストイット」。
 誰でも知ってる、3Mが開発した「付箋」と呼ばれるもの。
 
 これ、発想の原点は「すぐにはがれちゃう糊」ですよ。
 
 あまりよく切れないはさみ
 あまりよく切れない包丁
 まっすぐに切れない包丁
 低い踏み台
 高温にならないガスレンジ
 電気をたくさん流せないコンセント
 音が出ない楽器
 軽い重石
 安い高級品
 高価なジャンク商品
 笑えないギャグマンガ
 抱腹絶倒のホラー
 
 みたいなものです。
 でも、考えてみれば、どの商品も私の家にあります。
 あなたの家にも、ほとんどあるんじゃない?
 
 
 こういう発想が「売れる発想」。
 3Mは、ポストイットによって世界的企業になりましたが、社員の自由な発想を吸い上げるシステムが充実していて、それは数えきれないほどのビジネス書で紹介・解説されています。
 
 もし3Mが「普通のくっ付く糊」を売っていたら、競合の中で戦うことになります。
 でも、「すぐにはがれちゃう糊」を開発したから、独壇場になったし、他社が追随商品を作るたびに(世界中で、1日にどれだけの付箋が製造されているのだろう?)、莫大な特許料が入って来るのです。
 
 つまりは「他社とは違う」「他社とは真逆」の「自社の個性」だから、大きな利益を得ることができているのです。
 
 対して、日本のくそバカ保険会社は、せっかく、それぞれ個性の違う「個人事業主」を集めたのに・・・その個性を殺して、他社と区別のつかないやり方を押し付けて、挙句の果てに不幸に陥れる・・・。
 
 ホント、憎むべきバカです。


 そして、その先の話。
 
 日本の生命保険会社は、これほどに「くそバカ」なのだから、会社の教えの「真逆」をやらなければ、絶~対に売れません。
 
 で、「すぐにはがれちゃう糊」みたいな発想で、会社の教えを眺めてみれば・・・「根本的に、悲しいほどに、果てしなく売れない教え」だということが、よ~~~くわかります。
 
 会社の教え・・・その根源は、「死んじゃったら」「入院しちゃったら」ですよね。だから、保険商品や保障の大切さを語れと言う。
 
 でもね、「セールスはすべて、心理学と数字でできている」のであり、ごくごく初歩的な購買心理学からすれば、これは「決してやってはいけないこと」なのです。
 
 ちょっと専門的な話になっちゃうけど、キリスト教徒と、無神論者で「諸行無常」の意識が強い日本人では、死生観が真逆の部分がある。
 それを無視して「保障の大切さ」などということを語っちゃうから、100年以上もず~っと、ほとんどの日本人が生保セールスを嫌って来たのです。
 
 いいですか、初歩の初歩ですよ。
 心理学的に、「イヤ」「怖い」「拒否感」、さらに日本人の場合は「縁起でもない」という感覚を抱いたら、その場から必死に逃げようとするのです。
 
 「保障の話」って・・・まさに全部該当しちゃってるでしょ?
 ・・・売れるはずがないのです。
 
 もうちょっとだけ突っ込んだ話をすると、「縁起が悪い」という表現に代表される「言葉への意識」は、欧米人に比べると日本人の方がはるかに強い。
 井沢元彦さんの本を読むとよくわかるけど、日本人は、普段はまったく意識していないけれども、「言霊教」の信者なのです。
 キリスト教徒が、意識せずにキリストの教えに従って生活している部分が多々あるのと同じように、意識しなくても「縁起の悪い言葉」から離れようとするのですよ。
 
 ものすご~~~く分かりやすく言うと、「保険屋? そんな縁起の悪いヤツを、結婚式に呼ぶな!」ってこと。
 日本人は、昔から、今でもず~っと、「死ぬ」だの「病気」だのという「言葉自体」を「穢れ」と認識しているのです。間違いなく2000年以上も。


 さてあなた、以上を読んでも「根本的に、悲しいほどに、果てしなく売れない教え」の世界にとどまりますか?
 
 そんなことをするから、人生が「穢れ」ちゃうのです!